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タイトル写真は、河口湖畔の桜を通して見た、富士山です。「河口湖、桜、富士山」には語源が明らかにされていない共通点があります。この中では意味が解りやすい「河口」は。河口湖へそそぐ寺川河口に「山梨県南都留郡富士河口湖町河口」があるので、ここが湖名に採られた「河口」の起源と推理できます。ほかの富士五湖、「山中湖、西湖、精進湖、本栖湖」にも、南都留郡山中湖村「山中」、南都留郡富士河口湖町「西湖、精進、本栖」の字名があって、湖名と字名のどちらを先に付けたかを考える必要があります。こちらは、現代語でも意味がわかる、河口のようには行きません。
本サイトは、「富士五湖」や「富士山、桜」をはじめ、様々な地名の語源を考えるため、『地名を解く』表題をもとに、まず『山手線。京浜東北線』全駅名を解いてゆきます。面白いことに、山手線の駅には、江戸・明治時代からの地名の由来が残されています。

今井 欣一

プロフィール

今井 欣一
1941年、東京の新宿生まれ。幼い頃から鉄道マニアで、20代は蒸気機関車を追いかけて北海道「狩勝峠、倶知安峠」から、九州の「矢岳越、三太郎峠」などを駆け回りました。30代は「峠」名に魅かれて語源と命名年代の探索をはじめ、全国5万分の1地形図を集めて「峠、山、川、岬、島」の地名資料を造り、本サイトの基礎を組み立てました。

  • 山手線の駅
  • 言葉と地名
  • 日本の誕生
  • 地名資料

 奈良時代初期に編纂された『古事記』『日本書紀』と『風土記』は、地名の由来を数多く載せました。しかし三書の記述は、当てた漢字や同音異義語を基にした解説に留まり、『地名』が何のために命名されて、何を表現したかの普遍的な解釈を示しておりません。この状況は、1,300年が経過した今日も変わっていないのです。
 ここには『言葉の語源、創作法』が奈良時代へ継承されていた。と捉える暗黙の仮定が存在します。しかし、言葉の命名法が伝わっていなかったと考えると、五~六世紀に仏教と共に普及した『漢字』の意味に捕らわれない、違った思考法が浮かびます。
 いま私たちが常用している『日本語』の際立った特徴は、「A. I. U. E. O」「Ka. Ki. Ku. Ke. Ko」「Sa. Si. Su. Se. So」……のように、一音の語尾にかならず母音をつける『開音節』の構造を採ることです。
 「英語、仏語、中国語、朝鮮語」が開音節を採らないことは広く知られます。奈良時代の古文も開音節の構造をとり、五七五七七の和歌もこの特性を生かしています。弥生時代以降に生まれた「キャ、キュ、キョ」などの拗音、おもに「む」が変化した「ン」という撥音、「あった」などの促音(ッ)は、中国語・朝鮮語の影響を受けて変形した例です。

 固有名詞の『地名』も開音節の構造をとるため、「英語、仏語、中国語」などの外国語では不可能な、時代と共に変化した『地名の音数』比較ができる特性を備えています。
 一例をあげると、平成22(2010)年3月末に完了した『平成の市町村大合併』後の全国1,727市町村名の平均音数は『3.72音』、明治時代に定めた47都道府県名の平均音数は『3.53音』、飛鳥時代に制定した591郡の名の平均音数が『2.91音』、66国2島の旧国名、原型の平均音数を『2.60音』と計算できます。
 つまり、【旧国名(主に古墳時代に制定):2.6音。郡名(飛鳥時代):2.9音。都道府県名(明治時代):3.5音。市町村名(平成時代):3.7音】と、時代を経るごとに、地名の音数が増加した史実が浮かびあがります。
 本サイトは、この具体的な模様を検証しますが、これらの大地域名が一地点の地形を表現した『小地名』を採用した事実がとくに大切です。この定義が、奈良時代以降に伝わらなかったために、地名の乱れ、すなわち音数増加などが発したのです。

 現代に継承された『山、坂、沢、谷、滝、川、池、海、崎、島』など、二音節の基本語がどんな地形を表わすかは、言葉を聞くだけで連想できるのが『地形地名』の特徴です。いま『日本語』研究の対象は、漢字を導入して『古事記』などの書籍が誕生した奈良時代以後に限られています。が一地点の地形を表現した『地名』研究を進めると、『開音節』の言葉を利用した音数変化だけでなく、地形の変化も研究対象に加わり、奈良時代以前、とくに『縄文・弥生時代』の言語活動の一端を再現できます。我が国の歴史が、縄文時代から現代まで、連続しているところが重要です。

 『縄文時代』は、10万年ほど続いたヴュルム氷期が終わり、間氷期へ移って温暖化が始まる約16,000年前から、水田稲作を始める2,500年前の『弥生時代』の間を指します。
 現在、縄文時代は「草創期(約16,000~12,000年前)、早期(12,000~7,000年前)、前期(7,000~5,500年前)、中期(5,500~4,500年前)、後期(4,500~3,300年前)、晩期(3,300~2,500年前)」と区分されています。

 氷期から後氷期へ移行し、大気温度の変動が激しかった縄文時代は、約16,000年前に海面下130m前後の大陸棚にあった海水面が、1万年後の約5,500年前の縄文時代前期~中期の区分点に、現在の海水面より5~6mも上昇して、海が内陸へ浸入する『縄文海進』現象が発しました。その後、後期から晩期にかけて気温が低下したために、海面が下がる『海退』が起きたのです。この模様は台地端に造られた「貝塚遺跡」に残されています。

 右図は、週刊朝日百科『日本の歴史 36 火と石と土の語る文化』(1986 朝日新聞社)に載った関東地方の「縄文時代の海岸線の変化」模式図です。図の藍色が現在の海域、空色が約4,000年前の縄文時代後期、灰色が約5,500年前の海岸線の推定域を表わしています。
 赤点は貝塚遺跡の位置を表現し、貝塚が海岸に接する台地端に残る様子が判ります。縄文時代にできた貝塚の六割が集まる関東平野では、東京・川崎・横浜の武蔵野台地端と、後期まで海だった低地の境界に貝塚が密集するところに御注目ください。大森貝塚(大田区山王一丁目、品川区大井六丁目)が代表例です。
 明治時代、貝塚密集域に東海道線、東北線が建設されたのち、輸送力増強のために造られたのが『山手線、京浜東北線』でした。

 江戸時代以降に人口が増えた地域を走る、山手線30駅と赤羽線3駅、京浜東北・根岸線47駅…重複する「品川~田端」間の15駅と赤羽駅を除く…64駅に採られた地名の命名年代を推定しますと、「縄文・弥生・古墳・奈良・平安・鎌倉・江戸・明治・昭和・平成」時代を想定できます。この中で数が最も多いのが、『縄文時代』前期~晩期につけた可能性が高い地名を採った駅の名です。この具体例を検証するのが、『縄文の言霊(ことだま)。Ⅰ.山手線の歴史。Ⅱ.京浜東北線の歴史』です。
 東海道線「大井町~大森」間の大森駅北方の台地端に、È・S・モースが明治10年、車窓から「大森貝塚」を発見し、後日発掘調査をした際に出土した土器に『Cord marked pottery:縄目文様土器』と命名し、後に二字化した『縄文』は時代名に採用されました。

 大森貝塚から出た土器は「縄文時代後期の堀之内式(堀之内貝塚:千葉県市川市堀之内)、後期の加曾利B式(加曾利貝塚:千葉市若葉区桜木)、後期の安行Ⅰ・Ⅱ式(安行貝塚:埼玉県川口市安行(あんぎょう))、晩期の安行Ⅲ式」だったと記録されています。
 この縄文時代に命名された地名がどの駅に使われているかを、地名の意味と地形を対照して考えるのが、『Ⅰ.山手線の歴史。Ⅱ.京浜東北線の歴史』です。

 『Ⅲ.古代の東京、神奈川』では、この地域に律令時代に存在した武蔵国「足立(あたち)、葛飾(かつしか)、豊島(としま)、荏原(えぱら)、多摩(たま)、橘樹(たちぱな)、都筑(つつき)、久良岐(くらき)」郡、相模国「鎌倉(かまくら)、御浦(みうら)、高座(たかくら)、愛甲(あゆかは)、大住(おほすみ)、餘綾(よろき)、足柄(あしから)」郡の起源地名探索と、『和名抄』にのった武蔵国南部の50郷と相模国49郷の位置を復元して、平安時代の「東京、神奈川」の地勢を推理します。次の鎌倉時代の中心になる神奈川と、律令時代に人口が少なかった東京では、郷の分布状況に月とスッポンほどの大差が出現するのが興味を惹きます。
 縄文~弥生時代に命名された『地名』が、一地点の地形を表現したところが大切です。『郡名・国名』が小地名を採用した史実は、本サイト全体で検証しますが、この命名経緯を復元すると、史書に載らなかった地域の歴史の一端が浮上します。そればかりでなく、縄文~弥生時代の言語が、いま私たちが使っている『日本語』の原型だった様子も推理できるのです。
 ここが、今までまったく研究されて来なかった『地名』探索の要点です。

 第一章~第三章の表題に『縄文の言霊』を掲げたのは、5万分の1地形図にのった地名から、約三万例の地名を収集し、縄文時代に命名された地名群を取り出すと、『古事記』『日本書紀』『風土記』の地名解説とは、まったく異なる、自然界の『循環』を基に地名をつけた姿が浮かびあがります。この模様は『言霊≒言葉』の命名法に共通しますので、『縄文語⇒弥生語⇒倭語⇒日本語』の変化過程の一端を浮上させることを試みます。

 第四章~第六章の表題に『弥生の心配り』を選んだのは、魏志『倭人伝』にのる「倭国の大乱」後に国がまとまり、陸上・海上交易が活性化した姿が、自然地名の『峠、岬』に地形表現を主体につけた縄文の地名とは異なる、進化した姿が残されているからです。
 ここには、縄文時代につけた動植物名や森羅万象の名を厳選して、「松の木峠、鳥居峠、小仏峠、風越」「狼の鼻、犬戻鼻、潮掛鼻、ひょうたん島」など、一般の人々に印象ふかく記憶してもらうため、弥生時代特有の地名をつけた『心配り』と、極めて高い言語能力がうかがわれます。「松の木峠、鳥居峠、小仏峠、風越」を見て、私達には表面の意味しか感じ取れませんが、裏面に「峠」地形の表現を組み込んでいるのが、弥生時代の地名です。
 つい最近話題になった、操車場跡地を利用する新駅の名に、縄文時代中期頃に命名されていた『地名』に、横文字をくっつけただけの長ったらしい「記号」を作り、漢字二字の表記が多い駅名に相応しくないと改名を要請した人達に、絶対に換えないと威張り散らす公益企業の姿は、縄文・弥生時代の人々とは比べられません。

 なお「松の木峠、鳥居峠、小仏峠、風越」「狼の鼻、犬戻鼻、潮掛鼻、ひょうたん島」の地名解釈は、『弥生の心配り』の「Ⅳ. 言葉と地名。Ⅴ. 地名考古学」に記します。

 第七章~第九章を『日本の建国』と題して、律令時代の66国2島と、591郡の起源地名全数の位置を推定して、飛鳥時代の日本列島の地理を再現します。
 ここで問題になるのが、646年の「大化改新」から、663年の「白村江の戦い」をふくみ、672年の「壬申の乱」まで、列島が『倭国』と『日本国』に分かれていた様子を『旧唐書』倭国日本伝が、648年の使節団を記して、次のように語った様子を載せたことです。

 日本国は倭国の別種なり。その国、日辺(にっぺん)にあるをもって、ゆえに日本(にっぽん)をもって名となすと。あるいはいふ、倭国みずから、その名雅(みやび)ならざるをにくみ、あらためて、日本と号すと。
あるいはいふ、日本はもと小国、倭国の地をあわせたり」と。

 一般に三説を648年の使節団が一遍に話をしたと捉えて、『日本書紀』に倭国と日本国へ二分していた記述がないため、史実と認められていません。ところが、律令時代の『地名』を中心に据えて、平安時代中期の『延喜式』『和名抄』にのる記録を集計して分析すると、倭国と日本国へ二分していた史実が浮かびあがるのです。

 今は誰も関心を示さず、『平成の大合併』などで廃棄されつづけ、現代流の「記号」に置き換えられるだけの『地名』を見直すことが必要です。とくに『縄文語⇒弥生語⇒倭語(弥生語+漢語)⇒日本語』の変遷資料は、奈良時代以後の文献にはないので、『地名』を基本に置く以外に方法はありません。
 最新のDNA解析により、アジア人の中で最も古い人種と認定された縄文人、そして縄文語を発展させた弥生人の能力を浮上させることは、私たち日本人の責務です。この経緯を復元することが、世界全体では特殊な言語といえる『日本語』がインド・ヨーロッパ語系の『英語、仏語、中国語』、ウラル・アルタイ語系の『モンゴル語、朝鮮語』などから、いつごろ分離したかを探索する基本資料になるのは確実なのです。
 この時代が『縄文時代前期;約7,000~5,500年前』より前であった可能性が高いことは、他の言語に見られない独特の造語法を組み込んで、『縄文語』を確立しているからです。

 現在、世界で一番古い文明は約5,000年前のメソポタミア『シュメール文明』と考えられています。この文明より古い可能性をもつ『縄文文明』が自然の摂理、とくに『循環』を基本に据えたのが素晴らしいところです。『縄文』と二字化された縄目文様が、円周上の一点が回転するときにできる正射影、三角関数『y=sinⅹ』の∿型軌跡と一致して、無限につづく循環現象「∩+∪=∿型」を意識して、言語体系を構築した様子が解ります。

 縄文土器は、断面が〇型、地面に置くための「桶」の形が∪型、そして文様に∿型が連続する「縄」を選定しました。これが、いま私達が使っている『日本語』に受け継がれているのです。「∩+∪=∿型」をもとに創作した基本動詞の例は、「大森」駅に記します。