弥生の心配り

 古代史では、水田遺構が認定された「菜畑(なばたけ)遺跡:佐賀県唐津市菜畑」「板付(いたづけ)遺跡:福岡県福岡市博多区板付」が造られた約2,500年前から三世紀末までを、最初に弥生土器を出土した「東京都文京区弥生町」の名をとって、『弥生時代』と呼びます。

 しかし「纏向(まきむく)遺跡:奈良県桜井市東田・太田」にある初期前方後円墳の「纏向石塚古墳:全長96m。纏向勝山古墳:116m」の築造年代が三世紀初頭に確定したため、四世紀以後を表わす『古墳時代』の年代が繰り上がる可能性が出てきました。
 さらに、最近のプラントオパール分析やDNA解析により、陸稲(おかぼ)の稲作が約6,000年前の朝寝鼻貝塚(岡山市北区津島東)や彦崎貝塚(岡山市南区灘崎町彦崎)という、縄文時代前期後半に行われていた史実が判明し、中期には岡山県をはじめ熊本・鹿児島県、後期~晩期前半に福岡・長崎・大分・大阪・福井・青森各県の遺跡からも出土しています。
 世界最古の稲作遺跡は揚子江中流、約7,000年前の浙江省(せっこうしょう)河姆渡(かぼと)遺跡ですが、この稲がジャポニカ米だったことが判明し、縄文遺跡から出土した稲もジャポニカ種なので、稲作は河姆渡から揚子江を経て移入された様子が想定されています。6,000年前の朝鮮半島に稲作遺構がないので、半島へ稲作を伝えたのは我が国だったとする説も出始めています。
 むかし学校で習った、弥生時代初頭に朝鮮半島から渡来人が大量に入り、稲作を広めて縄文人を駆逐した。との説は再検討の必要があるようです。弥生時代の人骨の分析でも、「佐賀、福岡、山口」県には渡来人の形質が強く表われるようですが、ほかの都府県では縄文系の人骨が多い様子が報告されています。

 そこで注目されるのが『峠』にのこる、仏ヶ峠(ほとけがタワ:岡山 高梁(たかはし))、梨垰(なしのきダオ:広島 上下(じょうげ))、桜峠(さくらがト:愛媛・高知 梼原(ゆすはら))と読む地名群と、鳥越(とりゴエ:熊本 本渡(ほんど))、岩戸越(いわとゴエ:宮崎 三田井(みたい))などの『越』地名群の分布です。
 二つの地名群は、律令時代に「タフ+コエ⇒タフコエ⇒タフケ」と合成して峠に変化し、文献上の峠は平安時代後期に出現しました。〈㊟ 県名につづく地名は5万分の1地形図の図幅名〉

 全国の5万分の1地形図を集めて分布図を作ると、面白い傾向が浮上します。縄文時代の命名を想定できる地名群はおおよそ全国均等に分布し、弥生時代の地名は偏在します。この様相がほぼ全国一律の模様をみせる縄文文化、地方毎の個性を発揮した弥生文化に酷似するのが興味を惹きます。上図左の三つの分布域が、弥生時代後期の中細形銅剣圏〈タワ:黒〉、平形銅剣圏〈タオ:〉、平形銅矛圏〈トウ:〉に、ほぼ重なるところが大切です。
 右図の「越」は、主分布域が三波川(さんばがわ)変成岩帯の中央構造線に重なりますので、金属資源…銅、錫、鉄…の利用を開始した弥生~古墳時代の命名が考えられそうです。両地名の命名年代を特定できれば、「峠・越」に使用された言葉が弥生時代まで遡れる様子を暗示します。この分析は、第四章『言葉と地名』、第五章『地名考古学』で行いますが、『峠、越』を弥生時代後期につけた可能性が浮上するところが重要です。

 弥生時代後期とは、『魏志』倭人伝にのる「倭国の大乱」が終わり、邪馬臺(やまと)國の卑彌呼(ひみこ)が登場する時代です。我が国で五十年以上の内乱が続いたのは、弥生時代中期と戦国時代(1467~1568)の二回です。戦国時代に続くのは安土桃山⇒江戸時代で、平和な時代の特徴は水陸交通が活性化したことです。この様子は弥生時代にも共通し、陸路の「峠、越」と共に、海上では縄文~弥生時代の「崎、岬」に加えて、「鼻」を新設した姿が残されています。1970年代の5万分の1地形図にのった「越、鼻」の県別分布をあげましょう。

「越+越峠」の県別分布(百分率表示) 「鼻+崎鼻」の県別分布

県 名峠総数百分率県 名岬総数百分率
1宮 崎九 州1034240.8 %1大分九 州875967.8 %
2熊 本九 州1053533.32愛 媛四 国19412061.9
3徳 島四 国712231.03香 川四 国835161.4
4高 知四 国621829.04広 島中 国814960.5
5大 分九 州772127.35岡 山中 国603558.3
6長 崎九 州511223.56島 根中 国1126558.0
7滋 賀近 幾38718.47福 岡九 州502346
8愛 媛四 国1512717.98宮 崎九 州391743.6
9香 川四 国30516.79長 崎九 州64227442.7
10 石 川中 部48816.710山 口中 国1596742.1
全 国362742811.8%全 国3101120038.7%

 「越」の分布が前図に一致するのは当然ですが、分布図を作り難い「鼻」が、瀬戸内海沿岸の県に岬総数への比率が高い様子が浮上します。これだけでなく、倭語が『開音節』の構造を採るため、音数比較ができるのです。「峠、越」は少々難しいので、後に検証することにして、北海道・沖縄県を除いた、全国「崎、鼻」地名の分析結果を提示しましょう。

 いま市区町村の字名に使われる東京都品川区大崎、千代田区三崎町などの「崎:2,361例。平均音数:4.00音」、海に面する犬吠埼、長者ヶ崎などの「崎:1,660例。平均音数:4.82音」、やはり現役の天神鼻、ビシャゴ鼻などの「鼻:1,055例。平均音数:5.60音」と計算できます。三者の分布状況を考え合わせると、縄文海進・海退時の前期~晩期に内陸部へ付けた4.00音の字名の「崎」、縄文時代~弥生時代に名付けた4.82音の現役の「崎」、弥生時代後期~古墳時代中期の命名が考えられる「鼻」と、命名年代を推定できます。
 さらに地名は『言葉』を利用していますので、時代に応じて言語が進化した様子を読み取れます。縄文時代の地名は『地形表現』を主体にした三~四音の地名が多く、弥生時代以後の四~五音に増やした自然地名群は、地形表現を備えた動植物をはじめ、事物一般の記憶しやすい名前を多用した命名者の『心配り』を感じ取れます。具体例が「仏ヶ峠、梨垰、桜峠、鳥越」「犬吠埼、長者ヶ崎、天狗鼻、恵比寿鼻」などです。本サイトが分析資料に使った約三万例の地名全数を『地名資料Ⅰ~Ⅵ』に載せましたので、御参照ください。

 ところが、ふたつ以上の意味を重ね合わせて韻律を整えた地名創作法は、大陸からの渡来人の大量移入と漢字の普及によって五世紀、古墳時代中期ころから忘れ去られ、『縄文の言霊』『弥生の心配り』は現代に継承されなかったのです。この模様が奈良時代初頭に編纂された『古事記』『日本書紀』『風土記』の地名解説にまったく取り上げられず、単にあてた漢字と、同音異義語の説明に終始するところに、大切な伝承が途絶えた史実が記録されました。

 『魏志』倭人伝は相変わらず人気がありますが、これほどの資料が残る『地名』研究が全く行われていないのは不思議な現象です。倭人伝にのる、臺與が西晋へ朝貢した266年から、『宋書』倭国伝が記した倭王讃が421年に武帝へ朝貢するまでの150年間は、中国の史書に『倭国』関連の記録がまったく載らなかったため、現在この時代は【空白の150年】、または【空白の四世紀】と呼ばれて、放置されているのです。


第四章 『言葉と地名』 PDFダウンロード
 五世紀頃から忘れ去られて、奈良時代の文献記録もない『地名命名法』は、市町村名や字名を分析しても解読が難しいことは、過去の研究成果に表わされています。地名は地形を表現した可能性が高いため、様々な地形にあてた字名でなく、坂道の頂点の∩型地形、山の鞍部の∪型地形を表わした『峠』を基本に置くと、命名法の概略が浮上します。峠は「万物一般の名」を多用していますので、動植物などの性質と峠の共通項を対照すると、弥生の心配りに込めた『言葉と地名創作法:縄文の言霊』の一端を垣間みられます。

第五章 『地名考古学』 PDFダウンロード
 『縄文の言霊』にあげた「字名と自然地名の語頭母音の使用比率」に見られるように、
陸地の字名に使われる「埼、嶋」地名、今は陸地端の∩型地形にある「崎」と海中に「島」があって、「埼、嶋」は縄文時代、「崎、島」は縄文~弥生時代、崎と同じ地形に付けた「鼻」が弥生時代に新設されました。海岸地名と同様の音数、母音音形を残した山間の『坂、越、峠』が現存しますので、「『地名と言葉』の進化の模様が浮上します。とくに「赤、青、白、黒」が、「赤坂、青島、白崎、黒森」など、縄文時代に付けた地名は現存しますが、弥生時代の地名、「赤、青、白、黒」峠・越がないのが興味を惹きます。

第六章 『日本語の源流』 PDFダウンロード
 開音節を基本に置いた日本語は、五段活用の「かる、きる、くる、ける、こる」など、二音節の動詞が同音異義語を持つことが知られます。この特性を頭に置いて、桜が峠名に多用された史実を重視しますと、国花の桜は「咲く+暮る:古語でも下二段活用」、峠の桜は「裂く(V型地形)+刳る(刳り抜く:∪型地形)」、動詞の探るも「裂く+刳る」を原型においた『掛け言葉』を根幹に据えた『言霊』の姿が浮上します。掛け言葉の利用が縄文時代中期(約5,500~4,500年前)の地名に数多く残されてますので、第一章『山手線の歴史』から、地名解釈に常用いたします。