日本の誕生

 ここでは広域地名(川、湖、山、国、郡、市町村)が、一地点の地形を表現した「地名」を拡大使用した史実を提起します。我が国では、古墳時代後期ころに地名命名法が忘れ去られたため、注目されることはありませんが、「富士山、穂高岳、阿蘇山、利根川、信濃川、北上川」に起源地名があったことを、第六章『富士の語源』で述べます。
 富士山への信仰、「浅間信仰」は文献には火山への信仰と記されています。しかし駿河国一宮古社の宮内浅間神社、甲斐国一宮古社の山宮浅間神社(いずれも世界文化遺産に登録)は湧水信仰から生まれた可能性があります。日本語の「ふし(伏し)、ふち(淵)」「あさま(浅間←狭間)」に火山の意味がないため、両者の語源に定説はありません。
 ところが富士信仰、浅間信仰も湧水への信仰と考えれば、この問題は解けます。溶岩と火山砕屑物で出来た富士山が、巨大なダムの役割を果たしているところが大切です。

 国名の『陸奥、出羽、常陸、毛野、総、安房、武蔵、相模』には、起源になった小地名があり、なぜ、この小地名が国名に採用されたかの理由を考える必要があります。現存する起源地名は「下総国相馬郡布佐郷→千葉県我孫子市布佐:JR成田線布佐駅所在地)だけです。が、郡名にも採用されなかった「ふさ→上総・下総」が重視された時代は、最初に上げた「縄文時代の海岸線の変化」の図に我孫子市布佐の地名を記入し、太平洋から内陸へ入る湊として総国内のどこが最適かを考えれば、布佐であったことが判ります。つまり地名研究が、古代史解明に役立つわけです。

 この地図を再掲して、律令時代の66国2島の全国名、591郡全数の起源地名をあげる第七章『日本国の誕生』で、国名・郡名がどのように分布して、どんな歴史的意味を持ったかを解説いたします。


第六章 『富士の語源』 PDFダウンロード
 この章では、「川と山」の名がどのようにつけられたかの命名法則を探ります。地名研究は地形図から地名を取り出して集計し、分析することが基本です。
 川名を地図から収集すると、すぐ共通要素が浮かびあがります。川の名は、流域で最も重要な地点の名を採っています。たとえば「六郷、鶴見、馬入、酒匂、大井、天龍、矢作、鈴鹿、瀬田」川の共通項は、「東海道」との交点の地名を名乗ったことです。川は「水源、峡谷、扇状地、合流点、道路との交点、港」など、さまざまな地名を採用していますので、本章では「利根、信濃、北上、木曾、淀、阿賀野、最上、阿武隈、天龍、雄物」川という、大河の起源を探索します。
 山には「山、岳、峰、森」の四種の区分があって、全国の分布状況と命名年代がすべて異なる難解な地名群です。ここでは四種類の基本データをあげて、「奥多摩の山、浅間山と富士山、北アルプスの岳、阿蘇山」の語源を検証します。
 話題になることはありませんが、「富士川」「富士山」の二つの地名は、命名法が違って語源も異なります。同じように「信濃川と信濃国(科野国)」も起源が異なり、この辺をきちんと解いておかなければ、古代史の真実は浮上しません。

第七章 『日本の国はいつできたか?』東日本編 PDFダウンロード
 世界の人々は、自分の国がいつ、どのようにできたかに関心をもつのが普通で、我が国だけは、全く興味を示さない不思議な国だそうです。日本の建国記念日は、縄文時代晩期にあたる約2,700年前、『日本書紀 巻三 神日本磐余彦天皇』にのる大和の橿原宮で、文献史学上で実在を否定された、神武天皇が即位した年月日になっています。
 しかし最近は、『飛鳥浄御原令』を公布した年の翌年、690年に律令国家『日本国』が誕生したと考える説が注目されています。本サイトもこの説に賛成で、歴史書に記された『地名』に、この史実が残されているかを調べます。
 なぜかといえば、律令制度は「国、郡、郷」制、「祖、庸、調」の税制、「班田収授法」の土地制度が基本に置かれたためです。平安時代中期に編纂した『延喜式』『和名抄』は、66国2島と591郡の名称を記載しました。この大多数が地名ですので、「大地域名は、一地点の地形を表わした小地名の昇格」という、これまで解説してきた地名の定理を使って、全地名の起源を探索します。こうして比定をした郡の起源地名全部を地図に記すと、郡を定めた7世紀(飛鳥時代)における、各国ごとの模様が浮かびあがります。
 さらに『延喜式』には各国毎の稲束生産高(租税)、『和名抄』に水田(口分田)面積が載せられていて、『和名抄』にのる郡毎の郷数は、当時の人口を約560万人と推定する根拠になっています。ここでは、今まで活用されなかった『延喜式』『和名抄』の資料を使って、『日本国』誕生時の姿を復元します。
 本章は東日本の国・郡全数を扱い、律令時代に「越前、越中、越後、能登、加賀」国へ細分された旧越国の領域は、「皇極、孝徳、斉明、天智」天皇の時代に、ヤマト王権に属していなかった史実を浮上させます。

第八章 『日本の国はいつできたか?』西日本編 PDFダウンロード
 前章では、東日本の国名と郡名の起源を探索して、「国名と郡名は一地点の地形を表現した小地名の昇格」という仮説の立証を行ないました。本章も、西日本の「畿内、山陰道、山陽道、南海道、西海道」諸国と郡のルーツを探索します。これまでに全国66国2島と591郡全部を同一手法で解いた研究がなかったため、さまざまな問題点が浮上します。
 まず、国郡の名称は言葉として最古の記録集ですので、この分析によって、いま私たちが使っている『日本語』が縄文時代に遡れることを証明できます。ところが、言語大系は現代に継承されましたが、言葉の創作法が古墳時代中期頃から伝わらなくなり、奈良時代に全く継承されなかった様子が、『国、郡』名に当てた漢字の使用法に残されていますので、具体例をあげて検証します。
 また、前章で行なった『延喜式』『和名抄』のデータを基にすると、平安時代の「祖」が全国一律でなく、地方毎に違った姿が浮上します。これは646年の大化改新から、690年の律令国家誕生までの間、この国が統一されていなかった可能性を見せています。『旧唐書』倭国・日本伝が「日本国は倭国の別種なり、日本はもと小国、倭国の地を併せたり」と記した理由を語っているようです。
 わが国に現存する地名は数千万の単位といわれ、このうちの半数以上が縄文~弥生時代の地名と考えられますので、この分析・研究が「歴史、言葉」の復元に役立つわけです。